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鮮やかな いちょうの道

山形からの帰り道、県運動公園に立ち寄りました。秋も深まり、「いちょうの道」は、この時期多くの人でにぎわいます。

 

 

盛りは過ぎたようですが、まだまだ鮮やかな黄色いいちょうの紅葉を楽しめます。

 

 

平日なので、思ったほどの人出はありませんでした。

 

 

日の光に照らされて、黄色い色が冴えます。

 

 

黄色く色づき始めた、当館のレモンとキンカンです。毎日、日中は玄関前で日光浴。夕方、館内へ取り込みます。

 

 

菊とレモン、取り合わせは妙ですが、玄関前に彩りを添えています。

 

| 湯の香 松の湯 | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
天童古城の発掘調査すすむ

昨年度に引き続き、天童古城主郭跡の発掘調査が行われました。当館から徒歩10分のところにある舞鶴山(天童公園)は、戦国時代約200年間、天童氏がこの辺一帯を治めていた山城でした。

江戸時代末期に天童にやってきた天童織田家と区別するために、天童古城と呼んでいます。

 

                               (愛宕神社)

この天童氏時代の山城は、同時代のものとして山形最大の山城とみられています。今の舞鶴山全体が、自然の地形をうまく活かした、一つの要塞として存在したといわれています。

残念ながら、天正12年(1584)に、激しい合戦の末、お隣の山形城主・最上義光(もがみよしあき)に滅ぼされてしましました。

義光は天童城の主郭に愛宕神社を創建したとされていますが、そのときおそらく天童城は壊され、焼かれてしまったのではないかと言われています。

 

 

このたびの発掘調査は、当時の主郭部分の遺構を調べるためのもので、調査の結果、様々なものが出土しました。

建物の遺構の基礎石、当時貴重だった中国製の磁器・青磁、漆器、仏具、かわらけ(酒器)などの遺物です。

 

 

5年計画でこの発掘調査は進められる予定ですが、調査に携わった方の話では、こんなに多くの物が出てくるとは思っていなかったそうです。

この天童古城主郭の場所が、近い将来整備されれば、おそらく天童の新たな観光スポットとしても見直されるに違いありません。この山からの360度の眺望が可能となります。

 

                (主郭から西を望む 月山山頂部が雲に隠れている)

画面中央下に見えるところは、舞鶴山山頂広場の人間将棋会場の観覧席です。主郭の位置は、この場所よりもさらに高いところにあります。これからの調査の進展に、大いに期待したいところです。

 

 

| 湯の香 松の湯 | 11:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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