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舞鶴山を活かした健康ウォーキング研修会
2012.08.31 Friday | category:自然とのふれあい
ここは、舞鶴山の中腹にある建勲(たけいさお)神社の境内。天童商工会議所の観光部会が主催して、昨日舞鶴山を会場に健康ウォーキングの研修会を開催しました。参加者は、旅館などの観光関係者だけではなく、天童市役所の関係各課の担当者など、総勢60名近くの参加です。
(研修前のオリエンテーション)
天童市を含む村山地方(7市7町)で取り組んでいる「♪めでためでた花の山形観光圏」では、「ココロに効く カラダに効く 時速4km 山形の旅」を提唱しています。
このウォーキングは、ドイツで行われている「気候性地形療法」という手法を取り入れた健康ウォーキングで、その第一人者である小関信行氏(クアオルト研究室代表・上山市在住)をお招きしての研修会です。
(スタート前のストレッチ)
歩き方の主なポイントは二つ。まず汗を上手に蒸発させ、肌を冷たくサラサラの状態を保ちながら歩くこと。そうすることによって、通常の2倍の運動効果を得られるのだそうです。
二つ目が、チェックポイントごとに心拍数を計測し、数式で得た数値をよりどころにして、歩くスピードを調整します。つまり、自分の体力にあった歩き方をすることが基本。
(観光ボランティアガイドの皆さんも熱心に受講)
約1時間の実地研修後、今度はプロジェクターを使って、小関先生の講演をお聞きしました。
舞鶴山は天童温泉から程よい距離にあり、ウォーキングにもってこいの山です。市民の健康づくりはもちろん、観光で訪れたお客様から満足していただけるウォーキングルートの整備やソフト面の充実に、これから少し汗を流したいと思っているところです。
(研修前のオリエンテーション)
天童市を含む村山地方(7市7町)で取り組んでいる「♪めでためでた花の山形観光圏」では、「ココロに効く カラダに効く 時速4km 山形の旅」を提唱しています。
このウォーキングは、ドイツで行われている「気候性地形療法」という手法を取り入れた健康ウォーキングで、その第一人者である小関信行氏(クアオルト研究室代表・上山市在住)をお招きしての研修会です。
(スタート前のストレッチ)
歩き方の主なポイントは二つ。まず汗を上手に蒸発させ、肌を冷たくサラサラの状態を保ちながら歩くこと。そうすることによって、通常の2倍の運動効果を得られるのだそうです。
二つ目が、チェックポイントごとに心拍数を計測し、数式で得た数値をよりどころにして、歩くスピードを調整します。つまり、自分の体力にあった歩き方をすることが基本。
(観光ボランティアガイドの皆さんも熱心に受講)
約1時間の実地研修後、今度はプロジェクターを使って、小関先生の講演をお聞きしました。
舞鶴山は天童温泉から程よい距離にあり、ウォーキングにもってこいの山です。市民の健康づくりはもちろん、観光で訪れたお客様から満足していただけるウォーキングルートの整備やソフト面の充実に、これから少し汗を流したいと思っているところです。
全国有数の規模を誇る「山形城」?
2012.08.28 Tuesday | category:天地人・直江兼続VS最上義光
NHKの大河ドラマ「天地人」で、一躍脚光を浴びた米沢(上杉)。直江兼続の「愛」のかぶとの陰に隠れて、山形を代表する戦国大名・最上義光(よしあき)の存在感がいまひとつパッとしませんでした。
ここが、山形を治めていた最上義光の居城「山形城」(山形市)で、現在は「霞城公園」として親しまれています。写真は、復原された重厚な二の丸東大手門。11月いっぱい館内を無料で拝観できます。
義光は最上家11代目にあたりますが、出羽合戦の戦功により、24万石から庄内3郡と秋田の由利郡の33万石を加えられ、一躍にして57万石の大大名となります。
しかし、徳川幕府から厚い信頼を受けていた最上家も、内紛により義光の孫の代に改易となり、近江の国に1万石に格下げのうえ移されました。その後、最上家に替わって山形城主となった鳥居忠政(24万石)を皮切りに、9家、20人の大名が次々に山形に入封しましたが、悲しいかな徐々に石高も下げられていきます。
(復原中の本丸の一文字門)
最後の城主となった水野忠弘(水野忠邦の孫)の時には、たった5万石になってしまいました。栄枯盛衰・・・そんな歴史を秘めた山形城も、昭和61年晴れて国指定の史跡となり、最上家全盛の400年前によみがえりつつあります。
ウォーキングシューズを履いて、久しぶりに公園内を歩いてきました。こんな炎天下でも、木陰に入ると秋の気配を感じます。ここは当館から車で30分のところで、山形市の郷土館や県立博物館もあり、また春には桜の名所にもなっています。
ここが、山形を治めていた最上義光の居城「山形城」(山形市)で、現在は「霞城公園」として親しまれています。写真は、復原された重厚な二の丸東大手門。11月いっぱい館内を無料で拝観できます。
義光は最上家11代目にあたりますが、出羽合戦の戦功により、24万石から庄内3郡と秋田の由利郡の33万石を加えられ、一躍にして57万石の大大名となります。
しかし、徳川幕府から厚い信頼を受けていた最上家も、内紛により義光の孫の代に改易となり、近江の国に1万石に格下げのうえ移されました。その後、最上家に替わって山形城主となった鳥居忠政(24万石)を皮切りに、9家、20人の大名が次々に山形に入封しましたが、悲しいかな徐々に石高も下げられていきます。
(復原中の本丸の一文字門)
最後の城主となった水野忠弘(水野忠邦の孫)の時には、たった5万石になってしまいました。栄枯盛衰・・・そんな歴史を秘めた山形城も、昭和61年晴れて国指定の史跡となり、最上家全盛の400年前によみがえりつつあります。
ウォーキングシューズを履いて、久しぶりに公園内を歩いてきました。こんな炎天下でも、木陰に入ると秋の気配を感じます。ここは当館から車で30分のところで、山形市の郷土館や県立博物館もあり、また春には桜の名所にもなっています。
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