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月山湖の水
天童の水はうまいとよく言われます。それは、寒河江川の上流、月山湖(寒河江ダム)の水を引いているからです。天童周辺の6市6町で広域的に使っています。



月山湖です。国道112号線から見る噴水は、高さもありダイナミックで、しぶきの音も聞こえてきますが、ここは湖をはさんで国道の反対側。
時間で噴きあがる大噴水も、遠くに見えてしぶきの音も届きません。まるで、線香花火を見ているようです。



一般の人はあまり通らない側道ですが、その割には立派なモニュメント。
橋の欄干のオブジェにも力が入っています。水の渦を表現しているのでしょうか。

月山の雪解け水が入るこのダムのおかげで、夏でも枯れることなく、「うまい」と言われる豊富な水の恩恵を受けています。
天童から見ると、月山は西の方角。西に足を向けて寝られません。




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ピラカンサは総称?
平成4年、だだっ広い中庭を分割して、東側に会食場の棟を増築し、西側半分に現在の中庭を新たに造りました。

ピラカンサは、もともと鉢植えで育てていましたが、すぐ根詰りして少々持て余し気味でした。
地植えしてのびのび生かそうと思い、植木屋さんに頼んで中庭の片隅にこの木を植えてもらいました。あれから16年が経ちます。



豪雪のときは、屋根からの雪崩に押しつぶされ、ペシャンコになったこともあります。このまま枯れてしまうのかと、半分あきらめたりもしましたが、春になるとグングン枝を伸ばしていきました。
刈り込みながら育てて、今では2メートル以上にも伸び、横にも広がり、かなりの存在感があります。



ピラカンサは、「トキワサンザシ」「ヒマラヤトキワサンザシ」「タチバナモドキ」の総称だそうです。
小さな白い花が咲き始めました。当館のものは図鑑で調べると、どうやら「ヒマラヤトキワサンザシ」のようです。

可憐な花に似合わず、枝には棘があり、剪定のときには手が焼けます。
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西沼田遺跡公園
西沼田遺跡は、古墳時代後期にあたる6世紀ごろの農村集落跡です。国の史跡に指定され、今月24日に4.5ヘクタールの遺跡公園としてオープンしました。
当館から車で10分、市内蔵増(くらぞう)地区の田んぼの真ん中に位置しています。

夕方、オープン後の様子を見ておこうと、車で出かけました。
公園の駐車場にNHKの中継車が停まっています。スタッフに声をかけて、茅葺の母屋を覗いてみると、中継に備えてボランティアのお母さんが囲炉裏に薪をくべていました。



かなり、燻っています。この薪は、さくらんぼを剪定した枝。
18時30分からの生放送だそうです。リポーターが本番中に咳き込んだりしないでしょうか。



住居(母屋)や倉庫4棟を復元しました。



地元住民らでつくるNPO法人「西沼田サポーターズ・ネットワーク」が管理。本番前に打ち合わせをしていました。知人に声をかけたら、みなさんカメラの前に並んでくれました。左の若い女性がリポーターです。

ガイダンス施設の中に、NPOの職員3人が学芸員として常駐し、遺跡のガイドや体験学習の指導をしてくれます。
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オープン間近 産直朝市
天童温泉 産直朝市「朝どり活き活き湯けむり横丁」が、今年もいよいよ6月1日オープンします。
市内のこだわりの生産者を中心に、2002年から当館の駐車場をお貸しして、毎年開催しています。期間は6月から10月までの日曜朝市。

男性会員が中心になって、会場の設営を行いました。7か月振りの準備作業です。

この屋根は、当館の山から伐り出したスギを、皮はぎ・乾燥し、会員の五十嵐さんが夜なべ仕事で部材を細工して、昨年みんなで組み立てた、思い入れの作品です。
防腐剤もしっかり塗ってあります。



看板も設置して、あとは当日を待つばかり・・・。



会長の佐藤さんが、サルビアとマリーゴールドの花苗を準備してくれました。
雑草を取って、天童温泉の歓迎看板の下に植えました。鮮やかな赤とオレンジ・・。

「この花を見ると、べにばな国体を思い出すね。」と誰かが言いました。
そういえば16年前、花の苗づくりや水かけ作業に協力した覚えがあります。



大勢でやると、仕事も速い。予定の時間内に準備作業を終えて、今年度の発会式。まずは冷たいビールで乾杯です。
作柄や農作業の情報交換をしながら、今年の抱負を語り合いました。

朝市の詳しい日程などは、4月18日付の「宿六日誌」をご覧ください。
次回は、昨年の実績をもとに、月ごとの主な販売品目などをご紹介します。
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最上三十三観音分霊堂
昼下がりの日曜日、久しぶりに若松観音へ行ってきました。

開山1300年祭も、12年に一度の最上三十三観音の子歳(ねどし)ご開帳と重なったこともあり、県外ナンバーの車やバスでの参拝客で賑わっていました。



観音堂にお参りをして左手に進み、遊歩道をゆっくり上っていくと、最上三十三観音の分霊堂があります。小さな石の祠が、第1番から番外まで独立して祀られていて、それぞれ歌が詠まれた石板が立っています。

遊歩道が整備されていて、ぐるっと一巡りすれば、さわやかな達成感が味わえます。

 

女性の関心事は、やはり「縁結び」なのでしょうか。若い人が手を合わせる姿を見るのも、なかなかいいものですね。



東京から来たという女性の二人連れ、ベンチに腰掛けて景色を楽しんでいました。
ここは稚松公園(ちしょうこうえん)。分霊堂の先にある小高い丘です。晴れていれば、鳥海山の雄姿も眺望できます。

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立てば芍薬
朝から小雨がぱらついています。中庭の芍薬(しゃくやく)の蕾が膨らんできました。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・」と、昔から美人を花にたとえて言われます。



正直、牡丹も芍薬も同じような花なので、違いがよくわかりませんでした。しかも、なぜ芍薬が立ち姿で、牡丹が座った姿なのか、単なる語呂合わせではないのかと思ったりもしていました。

でも、調べてみるとその訳がわかりました。牡丹は木、芍薬は草。そういわれてみれば、確かに牡丹は冬にしっかりした幹と枝の部分が残ります。芍薬は毎年枯れて、春になると土の中から芽を吹いて伸びる、確かに草です。

姿かたちも、牡丹は横に広がるのに対して、芍薬はまっすぐ上に伸びた芽に花が咲くことから、あのように形容されたのだということです。



牡丹は既に散ってしまいましたが、狛犬の脇に、立ち姿の美しい芍薬が咲きはじめます。
こころなしか、狛犬も少々緊張しているように見えます。
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続 やんべ沼
時は戦国時代。山形城主最上義光(もがみよしあき)が全盛の頃の話です。
当時、最上義光は57万石を有する日本でも屈指の大名です。仙台の伊達政宗の伯父さんで、政宗の母君は、義光の実の妹です。

その最上家の配下にあった山形の山家(やんべ)氏は、戦功を認められて、この周辺の領地を分け与えられました。



今から420年前、この土地を治めるために、山家氏が山形から分かれて移り住みました。だから、地名は「山元」でも、「やんべ」と治めていた人の名前を親しみを込めて使ってきたのだろうと思います。

小生の先祖も、この山家氏の移動に伴って、この地にやって来たのだろうと言われています。
山形の山家に対して、天童は「小山家・こやんべ」。
清水の次郎長の大政・小政みたいですね。

その館が沼の畔の丘の上にありました。江戸時代に入り、最上家が改易になると同時に、命により小山家氏は秋田に赴きます。20年でこの地を去ることになりました。

動乱の時代を生きてきた当時の人々の暮らしを思うと、このやんべ沼の水の色もより深みを増して見えてきます。



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やんべ沼
静かな湖畔をイメージさせるこの写真ですが、当館から5分のところに、通称「やんべ沼」があります。地図で見ると、「山元沼」と書いてあります。
なぜ、「山元・やまもと」が「やんべ」なのか、それには訳があります。長くなるので次回に譲ります。



今日、当地区の津山財産区議会がありました。休憩時間、沼の近くに住むY議員にやんべ沼のことを尋ねてみました。
「昔は、灌漑用水の溜池や鯉の養魚場としてフルに使っていたが、いまはほとんど利用していない。魚に餌は与えていないが、今でもやせ鯉はいっぱいいるのでは・・・。」とのことでした。

今から420年ほど前、この丘のうえに小山家(こやんべ)城が建っていました。城というより、館(やかた)と言った方がピッタリくるかもしれません。この沼は、もともと館の濠の一部であったといわれています。



土手は草むしています。この丘は、りんごやさくらんぼの果樹畑になっています。

特に観光スポットでもなく、人知れず、忘れ去られてしまったような沼ですが、満々と水がたたえられています。




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レトロな暖簾
大浴場の渡り廊下に展示してある古めかしい暖簾、「一体何だろう」とお思いのお客様もいらっしゃると思います。

かつて、当館は旅館(内湯:うちゆ)の他に、道路を挟んで温泉浴場(外湯:そとゆ)も営業しておりました。
昭和30年にその浴場の建物を改築したのですが、男湯・女湯の暖簾を新たに注文した折に、染物店からお祝としていただいたのが、この暖簾です。

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未使用のまま、およそ50年間倉庫に眠っていました。

倉庫を整理しているときにたまたま発見し、当時の様子を聞こうと染物店に電話しました。暖簾を見て、「確かに先代から注文を受けて、50年前私が染めたもの・・・」というおじいちゃんのお話。

感動しました。

当時のものは染めはもちろんですが、つくりがしっかりしています。職人の手仕事の確かさが伝わってきます。



「保養温泉」というネーミングがいいですね。電話の局番も山形市では一桁、天童ではまだついていませんでした。

外湯は昭和45年に閉店しましたが、この暖簾を眺めると昭和の時代のさまざまな出来事がよみがえってくるようです。


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源氏山吉太夫のこと
大相撲夏場所が開幕中です。小生が小学生の時分、山形放送の朝のラジオで、地元出身の力士を応援する「がんばれ柏戸!」という番組がありました。朝ごはんを食べながら、放送に耳を傾けた記憶があります。

輝かしい柏鵬時代を築いた柏戸は、偉大な横綱でした。相撲の天才、大鵬が同時期に居合わせなかったら、もっともっと注目された力士だったでしょう。



話は、いきなり江戸時代までさかのぼります。天童からも強豪力士を輩出しています。
この銅像の人、その名も「源氏山」。江戸時代の後期、文化・文政年間に活躍した人です。
当時はまだ横綱制度はなく、最高位は大関だったそうです。

その東方大関に上り詰め、江戸で一世を風靡した力士、「源氏山吉太夫」は天童出身です。彼の功績を讃える等身大の銅像が市内寺津地区の公園に建立してあります。

後ろから失礼ですが・・。ご無礼をお許しください。



両手を広げ、「日本人力士よ、もっと気合を入れろ!」と、外国勢におされ気味の後輩力士たちに、檄を飛ばしているようにも見えます。

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