昨年度に引き続き、天童古城主郭跡の発掘調査が行われました。当館から徒歩10分のところにある舞鶴山(天童公園)は、戦国時代約200年間、天童氏がこの辺一帯を治めていた山城でした。
江戸時代末期に天童にやってきた天童織田家と区別するために、天童古城と呼んでいます。
(愛宕神社)
この天童氏時代の山城は、同時代のものとして山形最大の山城とみられています。今の舞鶴山全体が、自然の地形をうまく活かした、一つの要塞として存在したといわれています。
残念ながら、天正12年(1584)に、激しい合戦の末、お隣の山形城主・最上義光(もがみよしあき)に滅ぼされてしましました。
義光は天童城の主郭に愛宕神社を創建したとされていますが、そのときおそらく天童城は壊され、焼かれてしまったのではないかと言われています。
このたびの発掘調査は、当時の主郭部分の遺構を調べるためのもので、調査の結果、様々なものが出土しました。
建物の遺構の基礎石、当時貴重だった中国製の磁器・青磁、漆器、仏具、かわらけ(酒器)などの遺物です。
5年計画でこの発掘調査は進められる予定ですが、調査に携わった方の話では、こんなに多くの物が出てくるとは思っていなかったそうです。
この天童古城主郭の場所が、近い将来整備されれば、おそらく天童の新たな観光スポットとしても見直されるに違いありません。この山からの360度の眺望が可能となります。
(主郭から西を望む 月山山頂部が雲に隠れている)
画面中央下に見えるところは、舞鶴山山頂広場の人間将棋会場の観覧席です。主郭の位置は、この場所よりもさらに高いところにあります。これからの調査の進展に、大いに期待したいところです。
廃藩置県後、現在の山形は山形県・置賜県・鶴岡県の3つの行政区に分かれていました。これらの県が統合して新しい山形県が誕生したのは、明治9年のことです。今年で140年を迎えました。
この大きな節目の年に、山形美術館では「絵画と写真にみる 山形の近代」の企画展を開催しています。薩摩出身の初代県令・三島通庸(みしまみちつね)は、土木県令ともいわれ道路の敷設、トンネルの開削、公共施設の建設など山形の近代化に力を注ぎました。その新しいまちの姿を記録するため、多くの写真や油彩画で残しています。
山形美術館
三島の御用写真師としてその仕事を担ったのが、東北で初めての営業写真師・菊地新学(天童出身)です。また、油彩画では高橋由一がいます。このたび彼らの手による作品約240点を展示しています。
開催は10月30日まで。140年前のハイカラな山形のまちの様子に思いをはせるのもいいかもしれません。この機会にぜひご覧ください。
故・結城泰作さんの遺作の中から、約300点を展示しています。
ここが会場の文翔館(山形県郷土館)。当館から車で約30分のところです。国の重要文化財に指定されている旧山形県庁です。大正時代の建物で、イギリス・ルネッサンス様式を基調としたものです。
この建物をペン画で描くとこうなります。定規は一切使っておらず、すごく緻密な線の描写の中にも、フリーハンドの温もりが伝わってきます。
作者の娘さんがこの方。結城玲子さんです。彼女は、仕事のかたわら「山形歴史たてもの研究会」を主宰しています。今では取り壊しなどが続いている、貴重な明治から昭和初期の建物の記録や、歴史まち歩きの案内役をつとめ、県内外からの視察をボランティアで受け入れています。
今からちょうど6年前、天童のレトロ館の調査の下見をしたいと依頼を受け、研究会の皆さんをご案内したことがあります。そんなご縁で、当館の古い建物をお父様に描いていただきました。
天童の絵葉書10枚セットの中に選ばれたことは、とてもラッキーなことでした。
興味のある方は、どうぞご覧下さい。絵葉書も販売しております。
2年後に、天童温泉は開湯100周年を迎えます。その記念誌づくりのために、関係者に呼びかけて古い写真を集めていますが、こんな写真が届けられました。おそらく絵はがきなのでしょう。
「天童舞鶴山公園 其の五 見晴台より温泉街を望む」というタイトルが付いています。
明らかな撮影年月日は不明ですが、沼の周囲の道路状況やまばらな温泉街の家並みから想像すると、 終戦後(昭和20年代)の写真だろうということです。
温泉街というよりも、田んぼの中に旅館が点在している様が見て取れます。それにしても、のどかな田園風景。実に懐かしく、昭和の思い出がよみがえります。
駅に隣接する観光文化施設「ゆめりあ」の入口に、この大凧が飾ってあります。とにかく大きい・・・。人とくらべるとその大きさがわかります。
勇象氏が作る凧には、幼かったころに父親からもらった江戸土産の錦絵や武者絵をもとにした絵が描かれており、色彩豊かなものでした。
隠明寺凧の絵柄は30数種類あるそうですが、何といっても魔除けのこの般若の顔が代表作です。
その版木12点30面は、山形県指定有形民俗文化財になっています。
当館の囲炉裏端談話室にも、この凧を飾っています。勇象氏の子孫である新庄の隠明寺さんから直接いただいたものです。ほかに同じ図柄の絵皿や表具にした絵もあるのですが、お客様のお子さんが恐がるので、外しました。
当館では、ロビーに昔使っていた古い電話機や石臼などを展示していますが、レトロな雰囲気に合うのではと、お客様がご自宅でお使いになっていた古いラジオを贈ってくださったのです。
昭和12年ごろのものだそうで、とても70年以上の歳月を経たものとは思えない、きれいな外装です。スイッチをひねると今にも音が出そうな感じさえします。
ダイヤルを回すと、世界地図の書いてある円盤の針がくるくる回ります。
当時は、ラジオのことを「エリミネーター受信機」と呼んだらしく、ボックスの中をのぞいたらそう書いてありました。
お客様からご覧いただけるよう、囲炉裏端談話室の隣の和だんすの上に飾ることにしました。古いもの同士が妙にマッチして、昔からそこにあるような雰囲気を醸し出しています。
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